最近よく、とまではいかないけれど、隔週くらいのペースで板橋区にある高島平へ出勤している。そういう日は終日そこで会議や作業したりもあれば、午後は本社に戻ることもある。
というのは、誰かにそこへ行け、などと言われたわけではなく、これまでしてきた仕事の流れで自分が必要だと思ったから行ってる。(そりゃあ最初の最初は「行ってみる?」という問いかけから始まってるわけだけど)
小さい頃は一時間のテレビゲームをするにしても、3時のおやつを食べるにしても、母親に"許可"をもらってた気がする。それは何も電気代がかかるからだとか、おやつ代がかかるだとかいう問題ではない。そういうもの、だからだ。
もう少し大きくなって、小中学生くらいでは「友達の家に遊びに行ってくる!」とか「公園で野球してくる!」といった具合に、許可ではなく"報告"になった。まだ事前の報告が多いとは思う。
更にもう少し大きくなって、まあここからは個人差がだいぶ出てくるような気はするけれど、高校生・大学生くらいになると、"報告"は事後になるだけでなく、何かをするのも自分で決めて、自分で終わらせて、報告をする機会は減少する。
毎日の出来事を事細かに話すことはない。一般的には反抗期だしね。無かった気がするけど。
ここまではある意味、人間の成長という過程において当たり前な感じがしているけれど、社会人になると、それらの集大成が一挙に訪れて、蘇る。(新入)社員は上司に"許可"を求め、経過や結果を"報告"する。じゃあ、高校生・大学生のそれとの照合は?
決めること。
自分で何をするとか、自分が何をするとか、このプロジェクトはこう進めるとか、こういう資料を作るとか、そういうのを自分、または自分達で決めていく。最近、社会人にとって重要なのは、どんなに小さな結論であっても"決定"することなのではないかと思った。
朝6時半には起床する、と決める。毎朝ご飯を食べる、と決める。普段の生活の中でも、自分で決めないと誰も決めてくれないことばかりだから、無意識的にではあるけどなんとなく決めてる。
もちろん、その決定は自分だけでなく、関わった周囲の人々にも良し悪しは別として影響を与えることが多い。だから真剣に考えるし、ちゃんと決める。決めたことは守る。(正確には、守りきれないこともあるから守ろうとする。)
何かの結論なんて、すぐにひょっこり出てくるようなものばかりではないから、決めるって言っても決まるまでに時間を要したり、度重なる議論を必要とすることもあるけれど、それも含めて、決める。必要なら時間をかけるって決める。必要なら議論を重ねることを決める。
そして僕は、金曜日に金麦を飲むことを決めて、キメる。