質疑

朝10時に起床して、昨晩Wordで書いた某企業のエントリーシートを紙面に下書きし、上から清書しました。ほんとはあれかな、下書きなしで直接黒インクで書いた方がキレイなのかな。下書きを消しゴムで消すよりも。

下書き→清書って2回連続で同じ内容を書いたから手が疲れました。それでも2回目(清書)のほうを手抜きするわけにはいかないから、確率・統計の授業で鍛えられた指筋で乗り切りました。で、封筒に入れて近くの郵便局から送付ー。普通郵便にしたけど20日までには届くよね?

そして、そのまま大学へ。今日は夕方から理事会でした。



ところで、僕は活動においてはどんどん質問や疑問を言うほうだ。理事会の場に限らず。

もう既に確立されつつあるものから「更により良いもの」を生みだそうとするとき、最も重要なことは「質問・疑問」だと思っている。どんな些細なことでもそれが理解できないのであれば質問するし、疑問を投げかける。

・・・たぶんどこかで「なんだんだよ」とか「つっこみすぎでしょ」とか言われてると思う。いや、少なくともそう思ってる人はいると思う。どこかで。まぁ万人からよく思われてる人を探すほうが砂漠で5円玉探すより困難だけれど。

さて、話を戻す。

例えば、

「この資料の予算間違ってますよね?」

と質問したとしよう。それだけならただの指摘に過ぎないが、ここから

「重要な資料なんだからしっかりしてください」

などと付け加えたとする。いや、別に僕が毎回そんなことを言うわけではないがw
すると、

「はい、すいません、以後気をつけます」

と素直に返答する一方で、相手は

「なんだよ、そういう自分はどうなんだよ・・・」

と思ったとする。いや、実際思うのだろう。きっと僕だって思う。相手にもよるかもしれないが。
つまり、相手に強く物事を言うとき、それはそのまま自分にも返ってくるのだ。資料をしっかり作れ!と言ったなら、自分が作る資料はしっかりしていなければならない。自分のことを棚に上げてはいけないのだ。

僕は何も自分自身が完璧だからこのようにどんどん質問・疑問を投げかけるわけではない。僕だって忘れ物をすることがあるし、何かが抜け落ちてしまうことだってある。予算の計算ミスをすることだってたぶんあるだろう。けど、咎められることを恐れて何も言えなくなってしまうのはなんだか違う気がする。

矛盾してるように感じるかもしれないけれど。

もう一度言う。僕は活動においてはどんどん質問や疑問を言うほうだ。なぜか?

自分が完璧でないからこそ、質問や疑問を投げかけて自分自身が同じミスをしないように意識付けをし、さらに「これだけ言うんだから自分もしっかりしなきゃ!」という自己暗示的な意味も込める。自分を追いこむわけではないが、少し似ている。

・・・僕に足りないのは、自分が間違っているという指摘を受けたときにそれをすんなり受け止める姿勢なのかもしれない。

そして、最近思うこと。

自分の意見が、流れで全体の意見になってしまうことほど、怖い状態はない。

この状態、分かりますか?

では、どろん

僕は活動においてはどんどん質問や疑問を言うほうだあ