網膜復位術(強膜バックリング手術)の記憶的記録

hospitalazation

この記事を書くにあたって

今の時代、インターネットを使って何かを調べたり、情報を得たりすることは然程難しいことではありません。正しい情報や誤った情報の取捨選択を適切に行えば、概ね正確な情報を入手することが可能です。

とりわけ、専門的な事柄においては、その専門家に容易に接触できる状況にでもない限り、まずは検索してみる、といった行動を取ることは至って普通のことだとも思います。

前提として

この記事が、2014年7月時点での医学における表題の手術に関するものであることは言うまでもないけど、筆者自身の状況や体験(経験)に基づくものであるため、これを受ける万人に当てはまるわけではないです。

とはいえ、僕自身も今回この手術を受けるにあたり、インターネット上の多くの情報(個人ブログを含む)をあさりました。

その行動自体如何なものか、という疑問点があるのは重々承知だったけど(多くは不安が募るだけだから)、何もせずにはいられなかったし、どこかに少しでも安心できる情報がないものかという一心だったわけです。

そんな僕のような人がこの記事に辿り着いて、ほんの少しの安心感を得てもらえたら幸いです。

これまでの経緯

まず、この手術を受けるまでの簡単な経緯を連々と書くとします。

と思ったのだけど、事の発端は十年前に遡らなければならず、あまりにロングランになってしまうため、省略したいと思います。ただ、特筆すべき現状として、今回手術を受けたのは左目であり、右目は既に視えない状態にある、ということ。

入院までの日々

紆余曲折の末、十年間通っていた大学病院の眼科から街の眼科での診察に切り替わり、そこで数度のレーザー治療を左目に受けていたものの、やはり大学病院で診てもらうことを勧められ、同系列の大学病院を紹介していただきました。

手術決定

6月24日、教授宛ての紹介状を持って大学病院の眼科へ足を運びました。ひと通りの検査を受けた後、眼科医による診察を受けました。

「期待するより良かった事なんて一度もないんだから」

そんな言葉が過りながら淡々と説明を聞いていたわけですが、全く予想だにしていなかったとは言えないような結果でした。ただ今回は、十年前の右目のように視野欠損があるわけでもなかったからまさか入院・手術になるとは...と。

手術が決定し、採血・採尿・心電図を終え、父親と共に家に着いた後、ただただベッドで打ちひしがれていました。頭の中が真っ白でも真っ黒でもなく、ぐるぐると渦巻いたような感覚。

今日のことを考えているのか、これまでのことを考えているのか、これからのことを考えているのか。それもわからず、「何故?」を繰り返しては「諦めろ」を繰り返す。現実を受け入れるのに時間がかかりました。

術前一週目(送別会、飲み会、軽井沢旅行)

家に帰ったのが14時過ぎで、19時から会社の方の送別会があったため、なんとかそれまでに気持ちを整えないと、と考えながら3時間ほどを過ごしました。その間の思考はぐるぐる。

その日は送別会で、翌日は業後に同期と飲みに行き、金曜日から日曜日までは同期8人で軽井沢旅行へ行きました。

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旅行中、ふとした瞬間に2週間後に控える手術のことがよぎり続けていて、途中までは楽しさの影に不安が潜み続けていました。でも、本当に楽しかったから「手術を乗り越えてまた旅行とかしたい!」という思いが徐々に勝りました。

術前二週目(五日間の通常業務)

手術までの通常業務を乗り越えられるかというのは難題だったわけだけど、旅行によってポジティブ思考に転換されたおかげで、二週目はいつも通り業務に取り組めました。

そして、土曜に実家へ戻り、日曜、月曜(お休み)を過ごし、火曜を迎えました。

入院初日(手術前日)

同系列とはいえ、この大学病院への入院は初だったため、病棟の説明などを受け、いよいよ入院患者となりました。ただし、いわゆる病衣は借りないポリシー(なんとなく精神的にやられる)なので、Tシャツ&ジャージです。

以下は入院中に読もうと思って持参した書籍です。内二冊は同期からの借り物。

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手術当日

手術まで

手術は午前9時からの約1時間半程度を予定していました。なので、この日は朝から絶食はもちろん、決められた時間に目薬を点します。術前の診察を終え、身体に心電図的なものを取り付け、車いすで手術室へ。

病棟看護師さんに見送られ、手術看護師さんに迎えられます。手術が左目であることの確認の後、看護師さんによる説明を受けました。帽子被ったり、点滴を装着したり、目薬したり、その他諸々。細かくは憶えていません。

手術室に入り、手術台へ移動してからはもう心を落ち着けることに集中です。

手術中

まずは、最も恐れていた瞬間である局所麻酔です。ただ、事前に検索した内容と、看護師さんによる説明とで射つ位置が若干違っていたこと、そして、スピーディーな作業であったためほんの一瞬でした。

医者の技術もあるのかもしれないけれど、頬骨付近と目の下、二発の麻酔はどちらもほとんど痛みを感じることなく終わりました。むしろ、その後に麻酔をなじませるためか、目をぐりぐりされたほうが痛かった...。

最大の難関と捉えていた麻酔を終え、あとは手術を耐えるのみとなりました。右腕に巻いた血圧計が一定間隔で膨らむ中、左目以外を覆った布を顔に被され、あとは為すがままでした。時々筋肉的なものを引っ張る時が痛いのだけど、他は何も感じません。

ちなみに、手術中の会話はすべて聞こえてくるし、BGMのカーペンターズもしっかり聞こえていました。だからこそ痛いときに痛いと伝えることもできるのだけど。

手術後

手術室を出たのは10時半過ぎくらい。右目が見えないこともあるため、眼帯は透明のものにしてもらっていたけど、目を開くことはできないので真っ暗でした。病室に戻り、二時間安静。腰が痛くてもぞもぞしてました。

麻酔が切れ始めると少しずつ痛みを感じだしました。途中でさすがに眠れないくらいになってきたのでナースコールで痛み止めを依頼。それが聞いたのか、少ししてから多少楽になったので眠りにつきました。

夕方、両親の助けを借りつつ、なんとか眼帯の端から覗き見るようにして夕飯を食べました。また、その日はお手洗いに行くにもすべて看護師さんに付き添いをしてもらいました。一人で歩くのも覚束ない感じだったためです。

術後の入院生活

術後一日目(木曜)

眼帯は翌朝に外されました。一応歩けるくらいには見えるのだけど、ずっと目を開いてはいられないし、涙も出るし、動かすとそれなりに痛みもあるので、寝るか、iPodを聴いて過ごしていました。

それでも術後すぐにしては思っていたより見えていたし(視力としてはぼやけている)、ご飯もなんとか自力で食べることができていたのは良かったです。

Eyewash

術後二日目(金曜)

この日の午後、術後二日目にしてレーザー凝固を受けました。これがこれまでに受けてきたレーザーよりも痛かった(ような気がする)のです。というか、目を開けて前を見ているのがきつかったというべきでしょうか。

医者は「両目をしっかり開けて!」と言うけれど、自分はがんばって右目も開けているつもりでした。が、あまりにできていなかったからか、残りは明日以降に持ち越しとなりました。

これは病室に戻ってから気付いたのだけど、目を開くことと前を見ることは違うのです。僕は瞼こそ開けていたのですが、目は上を向いた状態(白目状態)だったため、閉じているのと変わらなかったのだと思います。

術後三日目(土曜)

前日の反省を胸にこの日は「ばっちり前を見ていてやる!」と内心意気込んでレーザーに臨みました。結果は思った通りで、目を開くことよりも前を見続けることを意識するのが正解でした。レーザーはこの日ですべて完了。

病室へ戻り、ベッドに横になっていると聞き覚えのある声で名前を呼ばれました。なんと会社の同期がお見舞いに来てくれたのでした。写真はその時にもらったぬいぐるみ、ありがとう。

Josephine

術後四日目(日曜)、五日目(月曜)

前日までにレーザーを終えていたため、日曜日はゆっくり休むのみでした。そして、翌月曜日の診察で火曜の退院が決定。引き続き、外来で経過観察をしていきましょう、となりました。

この日の業務後、会社の同期が3人でお見舞いに来てくれました。沢山のお菓子を頂いたのだけど、翌日退院であることを伝えると「えっ、じゃあおうちで食べて!笑」と。

また、その週にお見舞いに来ようとしていた同期が他にもいて、本当にありがたい限りです。

術後六日目(火曜)、退院・実家療養

朝一の診察を終え、無事に退院となりました。入院生活はちょうど一週間で、視力はまだまだ回復していなかったけれど、ひとまず自宅(というか実家)へ戻れるのは復帰への第一歩です。

この日から更に一週間、次の外来診察の日までは会社をお休みし、実家で療養することにしました。この一週間で、徐々に涙も治まり、視力も回復していきました(完全ではないが)。

そして、退院後初の外来で、変わりないことを確認していただき、翌日の水曜から仕事復帰となりました。

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終わりに

ここまで連々と書いていったけど、書いていて思ったのは、やっぱあくまで個人的な経験談だな、ということです。僕は医者ではないから病状の詳細までは説明できないし、説明したところでもしかしたら間違いがあるかもしれない。

なので、いち患者の経験談として捉えてもらえれば幸いです。同じような境遇でも異なる部分があるのは当たり前、大切なのは自分だけがこういう境遇じゃないと思えること。

2014.07.28 Kiyoshi